日曜画家になってはいけない。どういうことだろう。オノデラユキさんは制作する上での苦労を聞かれた際に、「就職してからアーティストをやろうというのはNGです。それでは趣味の日曜画家となってしまう。」とインタビューで答えている。
では日曜画家とは何か。広辞苑の第六版によれば「勤務先を持って、日曜日などの休みに趣味として絵を描く人」とある。一方、画家は「絵を描くことを職業とする人」とある。私はこの画家の定義に満足しない。趣味の範囲が広すぎるからだ。例えば、写真家の植田正治さん等は、生涯自分をアマチュアだと名乗っていた。彼の言うアマチュアに対しては、気をつけてみていく必要があるにしても、アマチュアリズムは、もはやアートの文脈に位置する時代だ。だから、趣味=日曜画家とは言えない。そこで、日曜画家とは、アートを人生の中心としない生活と私は考える。画家は常に生活に絵画(またはアート)があるだろう。しかし、日曜画家には生活に勤務がある。日曜画家の精神は日曜日以外は、極端にいえば、人生の中心が勤務することになってしまう。もし私なら、それは絶望的だ。少しでも芸術から離れてしまうことは、制作を続けることを誤魔化したり、諦めるきっかけを作るだろう。(それは私が弱い人間だからか?)
アーティストは行動する。行動しないアーティストはアーティストではない。動かないのは死ぬのと同じだ。だから、私は日曜画家にはならない。人生の中心は、アートに置く。だが、このアートこそ、中心性がなく、多様性に溢れ、掴むにも掴めきれない。だから、面白い。
「小さな僕らの断片」-地球派より-
地球派二人、南越谷にて論じ合う。
2021.02.19.
【参考】
写真新世紀オノデラユキ インタビュー記事「https://global.canon/ja/newcosmos/closeup/yuki-onodera/index.html」
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