もっと平気で、自分自身と対決するんだ。こんなに弱い、なら弱いまま、ありのままで進めば逆に勇気が湧いてくるじゃないか。(3p,28p)
この言葉を胸に私は、大学院の受験会場に向かい、そして交換留学先へと向かった。交換留学の日々は、毎日が崖から海水に飛び込むような恐怖と爽快感に満ちていた。岡本太郎は20歳の頃に、パリに交換留学に来た。東京藝術大学入学後、一年経った頃だろうか。その後、戦争の始まる1940年までパリに居続けた。岡本太郎は、パリによって生まれたアーティストだ。岡本太郎と比較すれば、短いが私も半年間、ドイツに交換留学をした。太郎に憧れ、私もパリにも訪れ、他にもイタリア、ギリシャ、スペイン、イギリス、アイスランドを周遊した。岡本太郎のこの本での経験は、交換留学を経た今の私にこそ、響く。岡本太郎がパリで経た経験の元、日本を再発見したように私もまたこれから日本を再発見したい。
『自分の運命に盾を突け』は岡本太郎が「『週刊プレイボーイ』(集英社)に1979年-1981年にかけて連載した『にらめっこ問答』をベースに再構成したもの」とある。岡本太郎がどの現場でも、他流試合であっても若者と対話しようと試みていた精神性を感じる。以下は、私がハンセン病療養所で、生き抜くために抜粋した言葉である。私の中で本書をスナップショットすることで私の血肉とし、芸術家としてのサバイブを行うための信念とする。また交換留学の思い出と共に太郎の言葉を噛み締めたいと思う。
絶望のなかに生きることこそがおもしろいと思って生きる以外ないね。それがほんとうの生きがいになる。(12p)
ぼくはなにものにも期待しない。それがスジだ。(省略)将来なんて勝手にしろだ。(p36)
挑むからエネルギーが湧き上がるんだ。(省略)無条件に闘うことを前提として、自分をつらぬいていくことが大切なんだよ。(p40)
交換留学先での私は、英語もドイツ語もろくに話せなかった。太郎はフランス語を少し、学んでからパリに行ったというが、きっと私と同じ心境だったに違いない。わからなすぎて逆に笑ってしまうのだ。そしてそこに立ち向かった時に、信じられないような力が確かに湧いてくる。
誤解すらなら、してみろ!誤解こそ運命の飾りだと思って、己れをつらぬいて生きればいい。(p41)
誤解こそ運命の飾りだと思い、一心不乱に喋り続け、表現し続けた。私にとって交換留学最初の表現は、毎日着る服装だった。
人生とは自分のことだ。客観的に見た人生は、人生じゃない。君が全身全霊で生きていることが人生なんだ。(p46)
全身全霊で生きなければ、死ぬかもしれない恐怖がヨーロッパでの暮らしにはある。それが何故か、心地よかった。そしてどこかで、死んでもいいと思っていた。
もしもこの世から金と名誉を捨てたら人間はどうなるのか。スバリ答えよう。金と名誉を捨てたら人間の生命が残るんだ。(p50)
言語が通じなくなり、私はただのドクドクと波打つ生命となった。私の心臓の響きが私の人生に呼応する感じを味わった。
キミ自身の心身をまったく無条件で燃え上がらせればいいんだよ。(p55)
結果にこだわるから、なにもできなくなる。それがいちばん愚劣なことなんだよ。(p56)
交換留学先で、へこんだ日は多々知れない。その度にいつも私が陥っていたことは、結果を期待することだった。英語もドイツ語もろくに学ばずに来たのだから、うまくいかなくて当たり前なのだが、少し慣れてくると調子に乗り、そして結果に期待し、へこむのだ。
無償とは無目的にただひたすらに生きる情熱だ。(p58)
真実のことを言ったりしたりしたら、絶対に受け入れられないと思った方がいい。(省略)それでも、もし生きがいをもって生きたいと思うなら、人に認められたいなんて思わないで、己れをつらぬくしかない。(省略)それじゃ出世できない?だったら出世なんかしなくていいじゃないか。(p59-p60)
私の住むワイマールには、ブーヘンバルト強制収容所があった。それは毎日私の家の窓から夕日の沈む方向にある丘だった。私はその丘をグループ展で大きく壁に描いた。この街にあったブーヘンバルト強制収容所をただ、見つめるという目的だった。そのことに疑問を持った同級生が、私に少し険悪な態度を示したが、結局私はそのまま展示をした。それは私にとってのスジだった。
若い人が闘う前からそういう世間知に頭を下げて、自己を失ってしまったら、どうなるんだい?(p63)
世界を変えるより自分を変える方が容易いと思い、生きてきた。だが、ヨーロッパではそれだけでは生きていけない。容赦無く私に変更をどんどん突きつけてくるからだ。そこで寧ろ、自分をつらぬくことも知った。きっと太郎もそうだったのではないだろうか。
どうせ荷物を背負わなきゃいけないのにキョロキョロよそ見をしたり、泣き言なんか言ってはダメだ。腰をすえて、堂々と、つらそうな顔なんかコレッポッチも見せずに、にこやかに背負う。(省略)要は自分がどう運命を受けとめるかなんだから。(p89)
ぼくの場合は運命孝行だったんだな。人生は、君自身が決意し、つらぬくんだ。だれがなんと言おうと、キミ自身だ。(p94)
いままでの決まりきった自分を捨ててしまえば、つまり殺しちゃえば、新しい自分が燃えあがってくる。自分を大事にしてしまうと、逆に自分を見失うことになる。自分を殺せというのは、相手にただあわすことじゃないんだよ。(p135)
純粋であればあるほど傷ついてしまう。(p140)
この半年間は、私にとって療養であり、トレーニングだった。日本は安全で便利な国だが、精神的には病んでいる。日本は、本当のことも言えないということを言うことすら、躊躇われるし、あるいはその言葉に重みすらなくなっている。苦しみを叫んでも苦しみがふわふわと飽和してしまう。
たくさんの人は「岡本太郎のような芸術運動をやったら絵は絶対売れないだろうし、生きていけなくなる。他の職業をさがさなくてはならなくなる」と言った。でも僕は「いや、死んでもいい。それでも自分のスジをつらぬく」と言って生きてきたんだよ。(p146)
無名の運命のなかで、自分のスジをつらぬき通して、歴史にも残らないで死んでいった者の生き方に、僕は加担したいんだよ。(p211-p212)
戦争を体験した太郎だからこそ、尚更思うのだろうと僕は考える。ヨーロッパにも第二次世界大戦の爪痕は大きく残り続けていた。私もその無名の人々に加担したい。
人生は他人を負かすなんて、ケチくさい卑小なものじゃない。いちばん大切なのは、自分自身に勝って、自分の生きがいをつらぬくこと。(p215)
本当の孤独は自・即・他なんだ。
みんなと喧嘩するんじゃなくて、みんなの運命を背負ったつもりで、孤独に自分をつらぬいていくことだね。絶対に妥協しないで、でも人と争うんじゃなくて、ニッコリ笑っていればいい。(p219)
みんなの運命を背負うと言うのは、大陸文化だからこそ、身に沁みる言葉だと今は思う。国境が海ではなく、山だったり、曖昧だったりする体験はとても不思議だった。イタリアからドイツに抜けるとき、一体どこから国境が生まれたのか、心底不思議な感じがしたが、イタリアとドイツは圧倒的に違う国なのもよくわかるのだ。
逃げ出さないで、死と対決すればいいんだ。そうすれば燃えあがって生きることができる。人間である以上、そういう確固たる姿勢が欲しい。
死んだっていいじゃないか。(省略)いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛びこむんだ。やってごらん。(p224)
日本に帰ることがそれでも、私は怖い。今日から私は対決する。私と日本で対決する。死んだっていい。自分の運命に盾を突けば、きっと熱い力が湧き上がるだろう。
岡本太郎
『自分の運命に盾を突け』
青春出版社 2014年
構成:平野暁臣
カバー装画:鈴木成一デザイン室
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