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  • 執筆者の写真Choku KIMURA

パレーシアの精神とハンセン病療養所の隔離を巡っての試論『はじめて読むフーコー』(2004年)中山元

更新日:2023年2月17日

 ミッシェル・フーコーという巨大な思想家に立ち向かう際には、案内人が欲しい。そこで、中山元の『はじめて読むフーコー』である。本書は文庫版でありながら、中古でもあまり安くならない程の良書である。

 本書では、「狂気」「真理」「権力」「主体」という4つの軸でフーコーの軌跡を読み解いていく。私の話に引き寄せて考えるならば、ハンセン病療養所を考えていく際に、フーコーのパレーシアの概念と排除と権力との関係性は特に重要だ。本書はフーコーの思想を体系的なまとめた良書であるが、この本をまたあえて、私自身のために編集し、読み解きたいと思う。

 フーコーは、そもそも精神科医だった。若き頃のフーコーは、精神の問題を人間の器官の問題に還元する当時の精神医学のありかたに強い違和感を感じていたという。そこで、フーコーは、狂気を人間の器官の問題としてではなく、人間と社会とのかかわりから考察しなければならないと考えるようになった。

 そこで、フーコーは狂気の取り扱いについて、歴史を遡る。フーコーはまず、古来において狂気は、現代のように否定的に捉えられていなかったと指摘する。それらの例として、本書の著者である中山は「プラトンは『ティオマイス』(岩波書店)で、狂気は神懸かりであり、神が人間の意識を訪れたしるしだと語っています。」と語る。そこから、フーコーの理論によれば、近代に至ると、狂気は自由な主体として取り扱われず、他者から管理あるいは、監視される存在となる。中山によると、近代以前は、「患者は鎖で縛られていましたが、こどもではないし、罪人でもないし、不道徳な存在でもありませんでした。しかし開放されたとき、患者は道徳の鎖で縛られることで、このような形で医者に隷属する惨めな存在となったのです。『治癒』するとは、医者とのこの関係に完全に順応すること」と狂気の取り扱いの変遷がみられる。このような歴史の変遷は、日本の近代でも、ハンセン病のみに関わらず、見られる。このような視点から見れば、ハンセン病療養所の隔離政策は、これまでハンセン病によって差別されていた人々に福祉を与えた一方で、巧妙に監視していく体制を構築し、自由な主体としての権利を奪っていたと私は考える。

 療養所が建てられる以前の沖縄に関するハンセン病患者の実態を青木恵哉は『選ばれた島』(1972年)に描写している。ここでは、ハンセン病患者は、当時放浪をしており、また沖縄ではハンセン病患者に対して、一定の情けがあったので、物乞いをして生きていく人々も多かった。また『選ばれた島』のある人物は、ハンセン病患者でないにも関わらず、ハンセン病患者の振りをして物乞いするという特殊事例も紹介されている。私がここで述べたいのは、ハンセン病療養所の隔離以前の物乞いをしている時代のほうがよかった等という話ではなく、近代以降ある程度の人権が認められるようになったことで、終ったことになっている現在にも続くハンセン病療養所における巧妙な管理や差別の実態を見つめねばならないということを私は言いたい。

 さて、ここで、私が注目したいのは、選ばれた島には、国立療養所沖縄愛楽園が実際に建てられたその後について、一切省かれているという点についてである。何故、青木は夢にまで見たハンセン病療養所の暮らしを描かなかったのか、あるいは描けなかったのか、考える余地がある。私はここに、ハンセン病療養所を立てるまでのある意味で生き生きした自由の主体としての青木が夢見たハンセン病療養所と、その後、第二次世界大戦を経て、沖縄戦の舞台にもなったハンセン病療養所には、青木が夢見た理想的な場所はなかったということなのではないかと考えることも出来るのではないかと思う。こういった視点からも、ハンセン病療養所には、従属ではない自由な主体というものが、拘束されつつあったと考えることができる。もちろん、一方でそれを跳ね除ける常に強い生命の力がハンセン病療養所に暮らす人々に私は見られると思う。ここで、私にとって重要なのは、現在もこの自由な主体を奪う巧妙な構造は、ハンセン病療養所に決して見られないとは言い切れないという事実を知ることだ。これはハンセン病療養所関係者含めて、あまり批判されていない。私は、そのような現実をハンセン病療養所に訪れる度に見てきた。私はそれらの訴えに対して無力であるが、決して目を逸らすことだけはしてはいけない。

 ハンセン病関係者に隔離の裏の隠された差別の知られてない一例の代表として、神谷美恵子はフーコーに対して、「臨床の場に立って苦しむことなく、ただ遠くから医学について『哲学する』者」(神谷美恵子『著作集8精神医学研究2』みすず書房、1982年、188-203頁)と評した。しかし、これに関しては法学者の森川は『ハンセン病と平等の法論』(2012年)の中で「たしかにハンセン病療養所は職員だけでなく入所者にとっても生きがいを見いだしうる場所であったが、入所者の被害の深刻さを主観的に克服されるべきものとして象徴化すれば、隔離の過ちの反省が妨げられるとして登場してきたのが法論アプローチである。おそらくフーコーであれば、入所時に当然のように入所者から死体解剖の承諾をとっていた隔離政策に、身体を個別化する規律権力の作用を認めるだろう。法論アプローチはこれを権利侵害として問題化した。」と述べており、私もこれらに対して同意する。

 さて、長くなってしまったが、本書の中で、私が最後に特筆したいものに、パレーシアの精神というものがある。パレーシアとは、「真理を語るものが真理を語りながら、自己を危険にさらすこと」とある。これは古代ギリシアの概念である。さらに「真理がどのような状況のもとで、どのような相手に語られるかが問題なのです。真理を語ることが、主体にとって道徳的な意味を持つ」とされている。中山は「フーコーは真理をこのような普遍的な領域から、自己にとっての倫理的な課題として捉えなおすことで、真理についての新しい視点をもたらしました。(省略)フーコーのパレーシアの概念とは、この主体の真理の意味を考えながら、それを批判的な知識人が真理を語る意味として捉えなおそうとするものでした。」と言う。

 これらの概念は、現在の日本では当然ながら見受けられるものではない。しかし、ハンセン病療養所の私が見てきたある事象には、このような精神の姿勢を見ることが出来る。ハンセン病療養所のことを考えるとき、ハンセン病療養所は、私自身に問を誘発させる。生きることは何なのだろうか、近代化の持つ意味とは何か、人はいかに生きるべきなのだろうかと。その問を誘発させるものの一つに、私はハンセン病療養所に見受けられるパレーシアの精神を指摘したい。らい予防法撤廃前のハンセン病療養所は、隔離と同時にその中で、常に人権を勝ち取ろうとする運動の歴史でもあったと思う。そして、私はそこで暮らす人々と交流したとき、熱い闘志に出会ったり、または、諦めつつもしかし譲れない巧みな命のせめぎ合いを繰り返した人々の言葉や空気に触れた。療養所においては、頻繁に真理を語ろうとするのものなら、自己を危険にさらすことということは、多くあっただろう。私はハンセン病療養所において、見られる人々の命の躍動に対しての一つの要因として、パレーシアの精神を感じた。

 本書で語られていることを私の関心と絡めてまとめてみた。本書の示唆はこれだけではない。フーコーに関心のある方は、一読の価値は間違いないだろう。


『はじめて読むフーコー』

(2004年)洋泉社

中山元


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